「飯島明良は感情表現が苦手だった。
怒り、悲しみ、不安、落胆…正の感情ならともかくも、負の感情がもたらす心の揺れ動きは飯島にとって極力避けたい、不快感をもたらすものであったからだ。
それは負の感情である以上、多くの人にとって同様の存在かもしれない。
しかし、飯島は多くの人よりもそれに対して潔癖で、その感情の存在自体にどうしようもない嫌悪感を抱いていた。
あるいは憎悪と言い換えてもいいかもしれない。
ともかく、飯島はそれらが嫌いだった。同時に恐れてもいた。
他人がそれらを抱けば、自分もまた逃れることはできないだろう。
周囲の顔色を窺い、常に快適な環境になるよう心がけた。
軋轢を生まないこと。平穏な生活を守ること。
それが飯島が人生で唯一、明確に意識していることだった。」
小説 ー玉響に“なけ”ー より一部抜粋