3 ― 星見る手紙 ―
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黒い箱 シャトは、 青年 シャト に肩書きを変更しました。
青年 シャト
[顔を洗う。眠気を払うように。考えをまとめるように。
鏡を見る。映るのは、昨日と同じような僕の顔。
一つ、深呼吸。鏡の僕と、記憶の僕が訴える諦めを乗り越えるための間をおいて。]
青年 シャト
[きっと、できない。分かってるけど、それでも。
できなかったことが今日、急にできるわけはないと、そう思うけど。それでも。
きっとこれをやめてしまったら、本当に日々が停滞してしまうと思うから。]
青年 シャト
[そっと、柔らかく、口角をあげて。目を穏やかに和ませて。
純真だったあの頃の僕を、もう一度。
美しい世界や穏やかな日々を、鮮やかに感じた心を、どうか。]
青年 シャト
[でも、やっぱり、そう上手くいくはずはなくて。
疲れたような顔にうっすらと形づくられた笑顔は仮面のように冷たくて、からっぽで、偽物だった。]
青年 シャト
[自分の表情を、もといそれに纏わる感情を取り戻す試みは、今日も失敗に終わってしまったけれど。
だからこそ僕は、何かしらの変化を待ち望んでる。
今日駄目でも、明日。明日駄目なら、いつか。
そんな風にわずかな希望を繋ぐ毎日も、もう大分経った。]
青年 シャト
[待ち望んで手に入るものなんて、たかが知れてるかもしれないけど。
そもそも、変化って予測不可能なものだ。
僕が待ち望んだものが僕の望み通りの結果を運んでくれるとは限らない。
でも。]
青年 シャト
[僕の予想の外からやってくるものは、大体、僕にとっていいことだ。少なくとも今までは。
好きなものを見つけること。大切な友人に出会うこと。
いつも唐突にやってきた、驚きと喜び。]
青年 シャト
あっ、少し焦げた？
[温めたパンの焦げた匂いで我に返る。今日は、よくものを考えられている。もうすぐ、朝食。
渋くなる前に、と慌てて淹れたお茶は少し薄かった。]
青年 シャト
ー 惑星アルカディアと不才な少年 ー
[アルカディアはとても便利で豊かで平和な星、らしい。
僕はこの星の外に出たことがないから、本当のところは分からない。
けれども、科学の発展した星というのは確かだと思う。
その技術力で、アルカディアは実に合理的な社会を形成していた。
代表的なものを挙げるなら、適正審査や評価システムがそれだ。
才能のある人間は自身の能力を最大限生かすことができるし、そうでない人間も向いていない職を事前に避けて、自分が比較的活躍できる職を選べる。
そうして社会に貢献すれば、その功績は評価として目に見える形で返ってくる。
大多数に影響を与えるほど評価は高くなって、社会的にも重宝される。
皆が活躍して、それが分かる社会。誰かの役に立つことが、即ち自分自身の価値になる社会。
皆が活躍できるはずの星で、僕は。]
青年 シャト
[適正審査の結果は、ほとんどの項目が平均以下だった。文才や表現力もご多分に漏れず、だ。
でも、その時の僕は絶望しなかったし、書くこともやめなかった。書くこと自体が楽しかった。
才に恵まれなくても関係ない、ずっと創作を続けられると信じていた。]
青年 シャト
だめだ、な。
[ペンを握ってみたけれど、ただの一文字も書くことができない。
頭の中には思い出ばかりがぐるぐる回って、だけど書きたいと思えることは出てきてくれない。
全ての体験がどこか朧気で、自分自身のことなのに他人事みたいに感じて。自信がなくなって。
先の見えない暗闇で迷っているような不安感に耐えられなくて、ペンを置いた。
>>114 いつかの確信はあっけないほどに崩れさったまま。
一度書けなくなってからは、それまでの僕が嘘だったかのように書けなくなった。
同時に、どうやって文字を綴ったのか、何を考えていたのかも思い出せなくなってしまった。
それが人生で一番楽しかったことだけは覚えているのに。]
青年 シャト
ー 表現者と少年 ー
[その一座がアルカディアにやってきたのは、6年ほど前。まだ僕が子供と云われる年齢の頃だった。
公演を観に行こうと考えたのは、どうしてだったか。多分、他の星からやってきた人たちがどんな芸術を見せてくれるのか気になるとか、そういう興味本位であったことは覚えている。
アルカディアの人間は娯楽に飢えているわりに、精神的に閉鎖的だ。
評価のついていない他の星から来た人たちを、歓迎すると同時に恐れている。
自然と外の人に対する態度はよそよそしい。それは訪れた一座に対しても同じで、他星どころか他銀河に名声が届くほどの実力者らしいと噂こそあったものの、僕の学友で観に行ったという話を聞いたことはなく。
どうしても気になって、学校が終わるや否や劇場へと走っていった。
そして、その日観た舞台が、僕の人生を大きく変えた。]
青年 シャト
[上演されたのは、一人の青年の冒険活劇だった。
平穏に暮らしていた青年が旅に出て、笑って、泣いて、悩んで、苦しんで、それでも前に進んでいく。自分の信じた未来のために様々な困難を乗り越えながら生きていく話。
僕はそこに一人の人生を見ていた。それだけじゃなく、いつの間にか僕までその世界に生きているような心地がした。一緒に笑って、泣いて、悩んで。
お芝居は作り物だと、どこかで思っていた意識が跡形もなく崩れていった。
同時に、僕の世界は途方もなく小さかったということも知った。
授業で教わっただけで、他の星のことをなんとなく分かった気になっていただけだと自覚した。
外の世界は自分の思っていたよりも、もっと血の通っていて暖かいんだということを、初めて想像した。
伝聞でしか知らなかった世界に、色がつく。音が溢れる。
そこに住む人々の在りようも。文化や生活も。外の星に存在する全てが。
こうして考えてみた想像よりも、きっと遥かに予想のつかないものばかりなんだろう。]
青年 シャト
[それを考えると言い表せない感情で胸がいっぱいになった。
とにかく、主演を務めた人に何かを伝えたくて、公演が終わったあと、駆け足で家に戻って手紙を書いた。
宛名の無い手紙を面白半分でどこかに送ることはあったけど、星の外から来た誰かに目的を持って手紙を書いたのは、これが初めてだった。
ただ思いつくままに言葉を連ねた手紙を出したのは翌日のこと。
住所なんて知らないから、劇場まで行ってスタッフさんに渡してもらうようにお願いした。
その先のことは、僕は分からないけど。ちゃんと届いたらいいな、とは思った。]
青年 シャト
ー 流れ星と青年 ー
[彼女との文通はどれくらいの頻度だったろうか。
旅人である彼女。返信がすぐに来ることもあれば、中々来ないこともあったかもしれない。
とにかく返事の有無に関わらず、僕は1.2ヶ月に少なくとも1回という形で手紙を書いていた。時期によってはもっと頻繁にやり取りしていたけど、大体はそんな感じだ。
僕の近況も記したけれど、変化に乏しい毎日を送っていたから、僕から話題に挙げるのは彼女がどのような星に滞在しているのか、どんな体験をしたか、危険な目にあっていないか。そんな感じの事柄が多かった。
たまに他愛のない昔話を挟んだりしながら、たまにちょっとした書き物を書いたことなんかを教えたりして。
そんな子供の頃から続けたやり取りが続けられなくなったのは、アルカディアが本格的に寒くなり始めた頃だった。]
青年 シャト
[予兆はしていた。ペンを握ってもアイデアが出なくなった。
仕事先の公園（奇しくも彼女と初めて会った公園が僕の勤務先だ）の花壇に新しい蕾がついても気づけなくなった。
本を手にとっても目が滑って文字が読み取れず、文を読むのに集中すれば内容が入ってこない。そんなことが続いた。
そうして、完全に何も、自分の近況すら書けるものがなくなって、2ヶ月どころか3ヶ月の空白を置いて、僕は彼女への手紙を四苦八苦しながら書いたのだった。]
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