3 ― 星見る手紙 ―
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青年 シャト
[雪が止んだ日。眠りから醒めるようにして、アルカディアは静かな喧騒に包まれた。止まっていた全てが一気に動き出す。
雪は積もって身動き取りにくいし、吸い込んだ空気も肺が痛くなるくらい冷たいけれど、それでも人々は動き出す。
僕も他の人たちと同じように、自らの勤務先である公園へと急いだ。
アルカディアの植物は雪や寒さでは、そうそう枯れることはない。だけど、その耐性は種によって違うし、環境に依存する種もある。
極寒期を過ぎて花を咲かせた植物たちは、開花してからが寒さに弱い。花が濡れたり、陽射しを浴びないと弱る種だ。
早いところ除雪して、陽を目一杯当ててやらないといけない。
除雪機を使っても時間がかかるから、人力でも雪を掻いた。
霜の対策のために被せた保護布が見える頃には、すっかりと手が痺れていた。
布を剥がすと、小さな花が顔を覗かせた。
雪の重量に負けることなく、以前と同じように、ただ逞しく咲いている。どんな苦境にも負けないと言いたげに。
なんだか自然と笑ってしまった。誇らしい気分だった。]
青年 シャト
[午前から午後まで休みなしで働いて、勤務が終わる頃、僕は上司に呼び出された。
呼び出しに応じて環境保全局へと足を運ぶと、上司、ハーフィズが僕を待っていた。
彼が口を開く、その瞬間がやけにゆっくりと眼に映る。
一年程前のあの日を、思い出していた。]
青年 シャト
[その日も僕はハーフィズに呼び出されて、彼個人の休憩室へと招かれた。
首を傾げる僕に、ハーフィズは言った。]
『シャト、お前の好きだった役者は死んだ。もうこの世のどこにもいない。
二度と舞台を踏むこともなければ、生き返ることもない。
お前も物書きは諦めろ。夢物語は、所詮夢だ。現実じゃない。どれだけ眼を逸らしたいことが起きても、現実は変わらない。
お前より遥かに才能に恵まれた人間が死ぬような世界で、お前の書いた物語なんか通用しない。だから、』
[その先何を言われたのか、僕はよく覚えていない。
感情の焼き切れる音がした。遠くで誰かの声がしていた。視界が揺れて、気づいたら取り押さえられていた。]
青年 シャト
僕は無期限に療養することを勧められた。というより、命じられた。
その時にはもう、何も感じなかった。辛くも悲しくもなかった。全てが他人事みたいで、ただ言われたことに頷いた。
何かを書きたくてペンを取った。だけど、何も書けなかった。何も。何も。
そうして時間は過ぎた。起きて寝るだけの日々を繰り返した。
何を書きたかったのかすっかり忘れた。自分がどういう人間だったのかさえ。
変化を求めた。必死に足掻いた。
あの素晴らしい人がくれた感動を忘れたくはなかった。希望を忘れたくはなかった。
足掻きは中々実を結ばなかった。もはや日常と化して、その行為を繰り返すことすら、半ば惰性だった。
明日へ、明日へと可能性を繋ぐ毎日を過ごして。
そして、一筋の光が差した。彼は死んではいなかった。
そんな、一年間の、記憶。]
青年 シャト
[僕はハーフィズが何かを言おうとするのを、ただ見ていた。
一年前と同じような形で、彼は言葉を紡ぎだす。]
『出星許可と、休暇申請は受理できない。
惑星アッサは、今、混乱の最中だ。行かせるわけにはいかない。』
[どうして、と聞いてみる。まるであの時からそっくり切り取られたみたいに、僕らは繰り返す。ハーフィズは続ける。]
『赤獅子、アッサの将軍が、意識不明の重体だと。ウル銀河同盟軍でもかなりの力を持ってるお偉いさんだ。
そんな人間が重体で身動き取れない中、どんな危険があるとも分からない。暫く機を待て。』
[いつだって人々のために尽力していた人の称号だと、僕にも分かった。
衝撃を感じたけれど、顔に出さないように努めた。胸の内に抱いた決意を、口に出す。]
青年 シャト
待てない。僕は行く。
『…聞いてなかったのか？』
聞いてたよ。でも、今行かなかったら、ずっと機を待つことになる気がする。
『お前には才能がない。外に出たら、辛いことばかりだ。
役者シェルタンももういないし、アッサを守ってた将軍も命を繋ぐか分からない。
それだけ厳しい世界なら、お前にはもっと厳しい世界だろう。それでも行くのか？』
[一つ、頷く。ハーフィズが溜め息を落とした。]
青年 シャト
『この星の何が不満なんだ。お前だって、ここなら必要とされるのに。
わざわざ競争相手の多い外に行きたがるのはどうしてだ。』
どうしても外の世界を知りたい。そうしなければアルカディアを愛せない。
辛いことも苦しいこともあるだろうと思う。それでも行きたい。
[また、ハーフィズが溜め息を落とす。彼の眼には、深く憂いの色が淀んでいた。]
『無事に帰ってこれるとは、限らないんだぞ。それでも、行くのか。』
青年 シャト
[一つ、頷いた。ハーフィズは無言で、暫く僕の眼を見ていた。やがて、ぽつり。]
『お前も、帰ってこないんだろうな。』
僕は帰ってくるよ。この先は分からないけど、少なくとも今回は。
[ハーフィズは苦笑したみたいだった。わずかに顔を俯かせたから、ちゃんと表情は伺えなかったけど。]
『どうだかな。まあ、今回の出星許可証と休暇申請は何とかしてやる。
ただし、危ないと思ったらすぐ帰ってこい。あと、旅先で報告書も書いてもらう。いいな？』
[僕は頷いた。きっとあの手紙がなかったら、ハーフィズの心には気づけなかったと思う。勿論、置いてかれる焦燥や苛立ちもあるんだろうけど。それだけじゃないってこと。心の余裕がなければ、気づけなかった。
僕は口を開いて、一言だけ、告げる。]
心配してくれて、ありがとう。
[彼は何も言わずに背を向けて、部屋を出ていった。
あとにはただ静寂だけが残った。僕はそこで暫く、窓の外を見ていた。
地面に隙間なく降り積もった雪が、陽射しを浴びて煌めいていた。]
青年 シャト
[ハーフィズとのやり取りから、更に三日が経った。
僕が勤務の傍ら、身体と精神の健康診断を受けたり、出星に必要な手続きをしている間に、彼は約束通り、出星許可をもぎ取ってきてくれた。
休暇申請に対しては通ったものの、ただの旅行というわけにはいかず、今回の僕の旅は他星の調査を兼ねたものになるらしい。休暇というより出張だね、と僕がいうとハーフィズは笑ってこう答えた。]
『アルカディアはある意味、一つの生命体だ。それぞれが各々の役割を果たすことで星を健全に保ち、回してる。
割り振られた役割を放棄して外に出ていくなら、戻ってきたところで居場所があるか分からないからな。戻ってくるつもりなら、外でも仕事はしてもらう。』
[彼の言葉にも態度にも、僕を引き留めようとする意思はもう感じなかった。
その言葉には思いやりがあった。彼は僕を助けてくれたし、力になってくれた。
>>19>>20 あのとき、無期限の自宅療養になるはずだった僕が、療養しつつも仕事を続けられたのは上司である彼が計らってくれたからだ。
もし職を失っていたら、外界との接触がない分、もっと塞ぎこんでいたかもしれない。]
青年 シャト
[彼の言い方は厳しかったと今でも思う。あんな風に言ってほしくなかった気持ちもある。でも、彼なりの心配ゆえの言葉だったとも今は理解してる。
だから、謝らないといけないことがある。]
ねえ、ハーフィズ。一年くらい前だったかな。僕と揉めたの覚えてる？
『…覚えてる。』
僕は詳細に覚えられてなくて。でも、あのとき、多分、僕。頭に血が上って、殴りかかったと思う。今まで、謝らなくて、ごめん。
『ああ。』
[彼は眼を逸らした。何かを言い淀むみたいだった。それから。]
『前回も、今回も、第三者を引き合いに出すのは、俺も卑怯だったと思う。悪かったとも思う。
それから、お前は殴りかかってない。その前に取り押さえられた。だからそこは気にすんな。』
[僕はこっくり、頷いた。それから、旅支度に不足がないか確認してもらったり、外の世界の最低限のことを教えてもらったりした。
僕も勉強していたけど、彼はもっと詳しかった。それで、今まで何人もの旅支度を手伝ってきたんだって、なんとなく分かった。]
青年 シャト
ー 出立の日 ー
[翌日、うっすらと夜の色が滲み始める早朝。
僕は荷物を抱えながら、コートを着こんで、朝一番の宇宙船を待った。
吐いた息が白く凍る。時折、弱く吹きつける風が指先の体温を奪っていく。
アッサに行くために、旅人に倣って服装を整えてみたけど、そんな僕にアルカディアは冷たかった。文字通りの意味で。
アッサは暖かいのかな。どんな人や物に出会うだろう。どんな景色を見るだろう。僕はそこで何を思うのかな。
考えてもまだ、分からないことだらけ。寒風に吹かれて、それでも心は暖かい。
鞄の中、旅支度で忙しく、読めなかった三通の手紙を想う。
宇宙船に乗ったら、遥か遠くに彼らのいる星が見える。
この手紙は、確かに、どこかで生きている人から送られてくる。どこかにいる彼らの日常、息吹、想い。
それらを受け取って、僕は旅に出る。]
青年 シャト
[宇宙船に乗り込む直前、ハーフィズが見送りに来てくれた。手を振って、笑う。]
行ってくるね！
[彼は何も言わず、軽く手を掲げるだけに留めた。でも、彼の表情もふっ切れたような笑顔だった。
僕と彼の間が少しずつ離れていく。
僕がルキウス一座やステラを見送ったときのように、今度は僕が見送られて。
最後に見えた彼の眼には強い光が宿っていた。夜空の星々のような、明るい煌めきが。
ああ、君が旅に出るとき、君は何を想うだろう。
きっと、そう遠い未来じゃないはずだ。]
青年 シャト
ー そして海を漂い、彼方に想いを馳せる ー
[アルカディアが遠くになって、数多ある星々の中の一つになって。
僕は黒い箱に乗って、同じく黒い海を漂う。
窓から見える無数の星に、僕は夢中になって。あっちに行ったり、こっちに行ったり。
まるで子供みたいに歩き回りながら、色んな星を視線で捉える。
すごい、すごい！なんて美しいんだろう！！
故郷の地からは、遠く、眩い白い光としか捉えられなかった星々のなんと鮮やかなことか！>>1:1>>2:0>>3:0
ああ、なんて素晴らしいんだろう。似ているようで違う、様々な色の星々！
きっと無限に世界は広がっていると確信させるほど、どこまでも続いてる。
その多くにきっと、文化が、生活が、人々が息づいて。
どこまでも広く、考えつかなかったほど自由な世界。
故郷を出て、すぐそこにも、きっと知らないことがある。可能性に満ちた世界。]
青年 シャト
[僕は感嘆の溜め息をついて、鞄の中、まだ封の開いていない三通の手紙を取り出した。
この広い世界で、僕に手紙を出してくれた人たちの故郷も、僕に見えているのかな。
知らない場所で、知らない生活を営む、僕の知ってる人。
その人たちに繋がる縁が、手の中にある。きっと無限に広がる銀河で、出会えた奇跡。
なんだか感動するような、無性に感傷的になるような。
興奮と、喜びと、途方もない世界に触れた驚きとで、僕は忘れていたんだ。]
青年 シャト
[荷物の中、持ってくるか悩んで、結局持ってきてしまった、使い慣れたペーパーナイフをアッサから届いた暁色の封筒に滑らせる。
全く知らない人間からの手紙に返事を書いてくれたことが嬉しくて、アッサに行く前にそこに住む人から言葉が届いたのが嬉しくて、僕は胸の高鳴りを抑えながら、紙面に目を落とした。否、落とそうとした。]
あれ、何か入ってる。
[数枚の便箋を取り出して、封筒の中身を確認する。
中に入っていたのは、星の駅についての詳細が記された小冊子と、硬貨と、石？
首を傾げて、改めて紙面へと目を落とす。
そこにはレオン・クロムウェルという少年のアッサへの見解と想いが語られていた。
僕の問いかけに対して、心を尽くして綴ってくれたのが分かる。アッサのことを多角的に捉えた、とても丁寧で、誠実な文面だった。]
青年 シャト
[そこには実に沢山のことが語られていた。
アッサは他星との交流地であるため、様々な文化や人々が入り交じり生活していること。それ故に争いなどもあるものの、考え方の違うもの同士が影響を及ぼしあい、新しい流行が生まれ、発展にも繋がっていくこと。
芸術活動が盛んで、各方面の芸術者たちが活躍を夢見てやってくること。
文学や劇などに留まらず、絵画や彫刻など、僕があまり見たことのない芸術も盛んだという一文は、大いに好奇心を刺激された。今から楽しみで仕方がない。そんな高揚感でいっぱいになった。
創作物に対しては良い悪いを問わず実直な感想を伝えてくれる人が多いらしい。ちょっと怖いけど、同時に今の僕にとってはいいことかもしれない。
やりたいことをまずはやらせてくれる、そんな自由度の高い場所で、評価を気にせず創作できるなら。
アッサの地を踏んで、僕はどんな物語を書くのか。自由に筆を動かす未来を想像して、少し笑った。
最後に綴られた一文は、アッサへの訪問が僕にとって楽しいものであるように、というささやかな祈りで締めくくられていた。]
青年 シャト
[同封してくれた文書には星の駅に立ち寄る上で役立ちそうな情報が沢山記載されていて、少年の言葉通り、楽しい旅になる予感がしていた。
硬貨と石、正確には金貨とアイオライトという石は、僕の旅の無事を祈る、お守りのようなものらしい。
手紙だけでなく、お守りまで同封されていたことに少年の真心と、申し訳なさを感じて。だけども、ありがたく受けとることにした。
僕が旅先で楽しく過ごし、色々な経験をすることが、恩返しになると信じよう。
それから、手紙を改めて読み返して、笑う。]
子供というけれど、上手な文章だな。僕は幼い頃、こんなに上手く書けなかった。アッサだとこれが普通なのかな？
何にせよ、才筆だ。尊敬するな。この子が物語を書いたら、きっと面白いと思うな。
[誰ともなしに、そう呟いた。
まとまりがあって読みやすい文章なのに、文の端々でアッサについて想像力を掻き立てられる。読んでいて楽しい手紙だった。
彼がもし、物語を書くことがあれば、是非とも読んでみたいものだ。]
青年 シャト
[少年、レオンくんからもらった金貨と石を傷つけないよう布にくるんで、鞄にしまった。後でちゃんと二つを保管できる箱でも買うことにしよう。
続いて、二つ目の封筒の封を開ける。独特な手触りのする茶色の封筒だ。
こうして返事が返ってくるということは、ちゃんと彼に手紙が届いたんだなと安堵しつつ、無事を確認できただけで十分すぎるくらいだったのに、更に返事を書いてくれたということに嬉しさを感じながら。便箋を取り出した。]
青年 シャト
[最初に書かれていたのは、久しぶりという挨拶と、手紙がちゃんと届いたということ。改めて文章として確認して、ほっと息を吐く。
“夢は物語はただの空想ではなく、現実に生きた人物の想いを描いてこそ、大事なメッセージを人に届けられる”という一文には、彼から伝えられたものは確かに真実なんだと裏打ちされたみたいな、そんな妙な安心感があった。
大切な恩人という言葉を返されて、少し恥ずかしくなってしまったけど、ただ純粋に物語を楽しんでいた、それだけの僕が彼の恩人になれるのは、素直に喜んでいいのかもしれない。]
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