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翌朝、 上官 アドニス の死が告げられた──……。
夜が明け、村人達は互いの安否を確認する。
どこからか上がる悲鳴。
村人の一人が、凄惨な赤い跡を震える指で示した。
噂は真実だったのだろうか。隣人の顔すら歪んで見える。
猜疑心に苛まれた村人たちは、怪しい人物を排除する事にしたのだった――…。
現在所在が確認できるのは 社長 ツァリーヌ、 望郷 グリーディア、 一人旅 レット、 籠の鳥 ドルチェ、 かたわれ リーン、 小説家 サンシア、 曇硝子 スイッセス、 有象無象 シャム、 渡航者 カラント、 さすらいのライダー アーネスト、 夢想家 コラーダ の 11 名。
――展望施設(過去軸)――
[ツァリーヌとの会話中、私はカラントの姿を視界の隅に捉えた。>>1:335雪国星雲を眺めに来たのだろうか。彼は、ツァリーヌと見知りであろうか。
もし彼が此方に歩み寄ってきて自分なりツァリーヌなりに話しかけるようであれば、三人で会話を愉しむもの吝かではない。
しかし、カラントはいつものようにクロッキー帳を開いた。ホワイト・マーブル到着まで後僅かであるから、彼もきっと心残りなくスケッチがしたいのだろう。
羊たちが彼に描かれたらどんなもこもこ具合を醸し出すかと興味惹かれたが、
私もツァリーヌに倣い小さく会釈だけをカラントに送って>>1:350、目の前の紳士と会話を続けた。]
成程、貴方は「未知への世界の扉を開かれては困る大人」
の行動原理は理解出来た、と。>>1:334
物語の中で彼らは主人公の少年に立ちはだかる存在ですが、
別に悪者として描かれていないのは面白い点ですよね。
見方によっては、主人公の少年のしている行動はとても無謀であり、
未知を暴くのは本当に良い事かと考えさせられる物語構成は
秀逸の一言でした。
[人は相手を理解する際に自分を基準とする。自分と異なる考え、思想を持つ者は中々に紐解きにくいものだ。それを補うためには「相手の立場に立ってみて考える」という想像力と配慮が必要になるが、これは言うほど簡単ではない。
特に、彼のように理屈で物を考えるタイプにとって明確な目的がなかったり、唐突だったり、法則性に乏しい子供の思考は読みにくいものなのだろう。
きっと彼はヘニーデ姫の脳内を覗いたら目を白黒させるタイプだ。]>>1:350
[彼が私と会話しつつ紐解きたいと思っているのは「子供の心」という、彼にとっての最大の難解、ある意味の「未知なるもの」なのだろうか?
心の紐解きに興味が湧くなら当然、そのメカニズムも知りたくなるだろう。
レットが抱えたもやもやをきっかけに恋の仕組みを知りたいと願ったように。>>1:155
それで彼は私に問うているのでは。
だから、この質問は決して無遠慮なものではないのだ、恐らく。
マイケルは気味悪いという理由でそれを問うたが、彼の場合は純粋な疑問と真実への探求心においての問いなのだ、きっと。
物腰の静かな紳士は私の脳内に鎮座ましましているCPUよりも回転が速いのではと思うほどの頭脳をくるくると回して、あっという間に自身の疑問に一つの解を導き出す。それは恐らくまだ紐のはじっこでしかない。しかし、彼がそれを掴んだのはその様子から確実に見てとれた。]
そうですね。実際がどうであるか、
より思い込んでしまう方が強いというのは実験の結果でも
沢山証明されています。
水の入ったやかんを人にぶつけると、
人は「お湯がかかった」と誤認して。
思い込んで、結果肌に火傷の痕が浮かんだりするそうです。
吊り橋効果も然りですね。
[といっても「思い込むのが共感への一歩」と知ってしまえば、意識してしまえばむしろ「思い込むにくくなる」のが人かもしれない。
「何も考えないようにしよう!」としても頭に何かが浮かんでしまうように。
それでも強い精神力があればきっと「思い込み」という手段は共感と理解へ繋がる鍵となるのではないか。
そう「未知への世界の扉を開く宙色の鍵」に。>>1:334]
[彼はもしかしたら今まで、他人とのコミュニケーションに色々と思い悩んでいたのかもしれない。
とても生真面目な人である。わからないことがあればずっと考え、それを解消しようと努めてたりするタイプと見受ける。
子供やそれに準ずる思考や行動をする相手は、彼にとってきっととても難解であったはずで…。
仕事という無機質に向き合うなら彼の手腕は遺憾なく発揮されるのだろうが、人間の心という、感情に支配された非理論的なものに対峙する度に戸惑う彼の姿が想像できる。
なんて不器用で、そして。
なんて愛くるしい人であろうか。
立派な男性である彼にそんな言葉は喜ばれないかもだが、私はそう思って目を細めた。]
[立派な男性である彼にそんな言葉は喜ばれないかもだが、私はそう思って目を細めた。
きっと、彼のように想いを簡単には曝け出さない人間は、相手によっては「気難しい」とか「何を考えているかわからないから怖い」と思われる事もあるだろう。
その上に思考が恐ろしく早くて的確な指摘をしてくるので、もし彼と敵対する関係の者がいるなら脅威を感じてもおかしくはない。
実際、「意見があるなら言うように」と言われた瞬間、私は悪戯を教師に見抜かれた生徒のようにびくりと身体を震わせた。その震えが背中から首までに到達するまでの数秒間、脳内劇場では三人のヒーローの活躍を描いた威風堂々に波乱万丈で七転八倒にて焼肉定食な痛快冒険活劇が華々しいフィナーレを迎えていた。>>1:362
[──船は脆くも崩壊し、波の中へと飲み込まれていく。
それを救命ボートの上から見つめる三人と子供たち。
悪の七味、いや小粒でぴりりではない一味の魔の手から、
囚われていた子供たちはヒーローの活躍により無事解放された。
『ありがとう、お姉ちゃん!おじいちゃん!…それと、あの。』
フルフェイスヒーローとカフェマスターはあっという間に子供たちに揉みくちゃにされる。しかし、スーツ紳士だけはその近寄りがたい雰囲気にぽつん、としていた。彼だってヒーローなのに。
だがそこへ歩み寄る一人の少年。おずおずとした様子であるが、微笑んで。
スーツ紳士の袖をそっと小さな手で握る。
『おじ、さんも…助けてくれて、ありがとう。』]
[大人は子供よりも色々な知識を持っているし、沢山の事を知っている。
でも、そんな余計なものを持たない子供の方が、物事を素直に読み解いたりすることはままあることだ。
スーツ紳士の奥に眠る優しさを見抜いた少年は、ヒーローを見上げながら目一杯の笑みを浮かべて。
その温かな手が自身の頭を撫でてくれるのを信じて待つのであった──。fin]
それは一つの解であると思います。
貴方自身が辿り着いた、見つけたものですから。
万人の正解とは違うかもしれなくとも、
また同じであるかもしれなくても、
貴方の前に立ちはだかる扉を、
貴方が開くことに意味があるでしょう。
…お子さんと、いっぱい遊んでみて下さい。
一緒に時間を過ごして上げてください。
それだけできっと。
沢山たくさん悩んだ貴方の疑問はきっと。
霧のように晴れるんじゃないかなと…
思いますよ。
[きっと彼は「諦めない」
ヒーローのように。
映画の主人公のように。
私はそう確信しているからこそ、言に力を込める事が出来た。*]
――食堂(船旅最終日)――
[明日には宇宙船「リベルテ」はホワイト・マーブルに到着し、宇宙港への入港を果たす。私はいくつかの事を済ませると普段通り食堂に向かった。
妻ドロシーと過ごす際も、臨終間際になろうと私はこの「普段通り」を大切にした。残り少ない時間に出来る事ややりたい事もある。やるべき事も。でもだからと、毎日日課や生活を疎かにするのも違う。
ドロシーはベッドから、私が珈琲を淹れる姿をじっと見ていた。
彼女はもう珈琲が喉を通る状態ではなかったが、その香りを愉しむことはまだ出来たから。
そんなことを思い出しながら私は食堂のカウンターに立つ。今日も誰かが来てくれるだろうかと心待ちにしつつ、その間に換気扇などの掃除出来る部分をせっせと磨く。お掃除役のアンドロイドペンギンと共に。]
[もう彼と私の間ではこうしたやり取りはお約束。珈琲を頼まない事を一瞬訝しむも、彼の注文通りサンドイッチを用意する。
私が作ったのは、ボリュームを愛する彼にぴったりの焼肉サンドイッチだ。
醤油だれに漬け込んだ牛肉を香ばしく焼いて瑞々しいレタスと一緒に挟む。
七味入りのマヨネーズにて仕上げた一品。]
ええ。貴方のコーチのお蔭ですね。
ホワイト・マーブルでは恐らく
板前デビューを果たすでしょう。
[カフェマスターも捨てがたいが、鉢巻を巻いて「へいらっしゃい!」と威勢いい声をあげるのも悪くない。私の就職先はまだ決まっていないからの呑気な言だ。
そして、私は彼の冗談がとても好きだからそれはそれは嬉しそうに返した。
サンドイッチにはミネラルウォーターを添える。そして使った道具を磨きつつ、私は彼の話に耳を傾けた、興味深く。]>>9
…仰る通りですね。
変えようと思わなくとも人は、
加齢によっても容姿が変わりますし、
外見を服装やお化粧まで広げればそれこそ
無限大に変幻自在、千変万化です。
しかし、それは同一である…
[頂いた言葉の一つ一つを噛み締める。とても深く味わい深い。彼は私のサンドイッチを食べて、私は彼の言葉を食べている。以前アーネストが話していたテセウスの船の話を思い出した。>>1:70
続く彼の言葉は、どうやらこの船内における体験から考えたもののようである。
彼は大柄で運動にも長けるが、スケッチをするなど繊細な部分や芸術性も持ち合わせつつ、ジョークもうまくて頭も冴えるという万能選手だ。
つまり、今まで彼が人物画を描かないのにはきちんと考えられた理由があって、それを今話題に持ち出すという事はすなわち、そこに変化が生まれた、という事を示す。]
…ええ、ええ。
私はドロシーを偲ぶために、彼女が亡くなった後も
珈琲を淹れ続けました。
彼女の愛したものだから。
そうですね、そう…
[その言葉だけで、私はこんなにも嬉しかったのに。
彼はどうも更なる贈り物をくれるらしい。しかもそれを「返せるもの」などと。
私が事情を話すのをまるで頂き物のように言う彼。
胸がきゅっと締め付けられて熱くなるのを感じた。
そこに心臓なんかなくとも。想いが、そこに。]
……私の姿を。
いいのですか、貴重な貴方のお手間を、
貴方が筆を走らせるお時間を頂いても。
[スイッセスの人生にも、写真ならばあるが人に絵を描いて貰うという経験はなかった。彼の絵は、そのひと筆ひと筆に心を込めたものである。
何度もクロッキー帳を見せて貰ったのだから知っている。
何度も彼が熱心に絵を描いている姿をこの一か月に見ていたのだから、知っている。
そんなに素晴らしいものを、私は貰っていいのだろうか。
…答えは勿論。]
後ろ姿でいいのですか。
あのう、髪は乱れてませんかね。
エプロンは曲がっていないでしょうか…。
[アンドロイドである私の身支度にそういう隙がないかといえば、人間らしく設計されているが故、むしろある時はあるのだ。
だから背中を気にしつつくカウンター内でくるくるしてしまった。そんな様子は彼にどんな風に見えただろうか。
いつものように濃いエスプレッソを彼に用意する。
モデルになるなんてドキドキしたけれど、私はちゃんと真っ直ぐな姿勢の後ろ姿を彼に見せる事が出来たであろう。(アンドロイドだもの… スイお)
彼の絵が完成するのはいつか。それを受け取った時、私が心からの礼を言うのは間違いない。
私が変わってしまっても、消去の具合によってはこの船内の事すら忘れてしまうけれど。
紙に焼き付けて貰えたら、ずっとずっと残る。
アーネストのサインに続いて私の宝物がまた一つ増えるようだ。]>>10
――スイッセスの手記4――
[ドロシーの葬儀は息子のマイケルやその家族を待たず私が執り行う事になった。
ホワイト・マーブルと地球はワープを繰り返す宇宙船でも一か月の距離である。
遺体を冷凍保存するというやり方をドロシーが望まなかったので、これは仕方のない事であった。
本来の喪主はマイケルであり私ではないが、私はドロシーの遺影を胸に抱き、棺に眠る彼女の肉体にお別れの挨拶をして額に口づけを落とした。
マイケルにはドロシーが契約していた弁護士から遺言状の内容が告げられた。私はその内容を見るのが叶わなかったが、その中にはハッキリと私を破棄しないことが述べられていたようである。また、マイケルの元に渡る際の渡航費も遺産から出すようにと。]
[私の処遇については、次の所有者であるマイケルに委ねるともあった。
ドロシーとしては、私の破棄は論外として記憶だって消して欲しくはなかっただろう。しかし、息子の複雑な気持ちだって母親として理解していたから、そこまでの我儘は書かなかったのかもしれない。
私はマイケルからその内容を告げられて、ドロシーの遺品を持ってホワイト・マーブルに来るようにと命じられた。
貨物としてではなく乗客として乗るようにとも。
私の現所有者はマイケルとなった。もうドロシーは生きていないので、彼は私をどう扱っても文句は言われない。父親を模した彼視点の「偽物」である私を彼は快く思っていない。私も彼の立場なら同じように思ったかもしれないし、それは仕方のないことで…
私はホワイト・マーブルに着いた後自分がどうなるかに対して天にも祈るような気持ちだったのだが。]
[マイケルの意向は、私の記憶を消去し新しい仕事に就くように、というものであった。
私はそれを電子メールにて一方的に通告されたが、彼に逆らう意思など毛頭なかったし、むしろ渡航の間にドロシーを偲ぶ時間がある事を喜んだ。
彼女との、最初で最後の宇宙旅行。
ドロシーはまだ私の胸の中にいる。
これで、サヨナラだ。
それでも……船を下りて記憶を消去されるまで。
私は彼女に、その思い出に連れ添うであろう。]
――食堂に向かう前にスイッセスがした幾つかの一つ――
[珈琲を淹れる際、私は地球から持参した豆を利用していた。その日により数種類をブレンドして飲みに来る方に出していたから、いつも違った香りや味わいを愉しんで頂けたはずである。
その大事な豆を私は綺麗な麻の袋に入れて紐で閉じる。麻の袋は通気性がよく、見た目もお洒落だからプレゼントにぴったりだ。
花柄模様の便箋に手紙もしたため添えると、それを従業員であるペンギンアンドロイド(※ペンギンっぽいフォルムなのか、まんまペンギンなのか。それが問題であり問題でもない。とにかくかわいい。)に手渡す。ある乗客に届けてほしいと。
ほどなくして、船内のどこかにいるアーネストにそれは届いたであろう。
手紙の内容はこうだ。]
『アーネストさんへ。
珈琲を淹れ始めた貴方にこの豆を。
美味しく飲んで下さいね。>>1:268
おじーちゃんより。』]*
――アーネストからの絵葉書――
[ぺったんぺったん(イメージ擬音)とペンギンアンドロイドが私に近寄ってくる。大体彼らがこうしてやってくるのは言伝か届け物がある時だ。
私はその丸っこい手が差し出す絵葉書を受け取った。>>116
随分強い筆圧にて書かれた文字。
まるで彼女の想いがそのまま乗り移ったような。
それは、アーネストからのもので。
書かれていた彼女の大切な妹の名前に私は微笑む。
私はビューという女性の顔も知らないが、それでもああいう話を聴いて、アーネストだけでなく彼女の無事と幸せを切に祈っていたから。
珈琲は人に飲まれるためのものだ。
それでもアーネストは、私の贈り物全部砕き形を失くしてしまうことに抵抗を覚えたらしい。
文面を追いながら肩の力を抜く。]
優しい人ですねえ、本当に。
[こんな優しいヒーローは、悪者が命乞いをしたら許してしまうかも。
その時に背後を取られたりしたら、スイッセス・サンが駆けつけねばならないのでは?なんて心配までしたけれど、冷徹なヒーローであるはずがない、彼女が。
どこまでも優しくて。
誰よりも強い。
泣いている一人の子供も見逃さず、珈琲の一粒も大事にする。
それがヒーロー・アーネスト。
溜息がでるほどに、その存在は清々しく勇ましい。]
ありがとう、届けてくれて。
[ペン吉の頭をなでなでする。あだ名は私が一体一体勝手につけているもので公式名称ではないから気にしないでほしい。
私は絵葉書を何度も何度も見返して、ぎゅっと胸に抱く。
想いは、暖かい。]**
――展望施設(過去軸)――
[瞬きも、溜息も。>>1:46言葉ではない形に人の想いは映し出されていく。
私の仕草や癖の中には、生前のスイッセスの想いが沢山たくさん詰まっている。
彼の切れ長の睫毛が臥せられる際は思考のターンなのかもしれない。106
精神と時の部屋を訪れているのかもしれない。
外側を見つめるのではなく、心の内側や思考の深淵を覗く際、人は瞼を開いている必要はないから。
精神や夢想の世界で行った行動は現実のものではないが、それは現実になんの影響がないわけではなく、人を変えるに十分足るものだ。>>108
私は彼の思考を覗く事は出来ないけれど、きっと今考えるべき、今彼に必要な事を考えているのであろう。
長い沈黙はその証拠と考える。
もし寝てるんだったからちょっと可愛いけどちょっと困る。
膝枕をしたくなってしまうからね、おじいちゃんは。]
……。
[先程まで読んでいた本の台詞は私の心に強く刻まれた。感動を覚えた。
私がこの本に勇気を得たのなら、その言葉を借りたら彼にも勇気や、踏み出す一歩を与えることが出来るのではないか。
そんな想いで私は言葉を紡いだ。
聡明で注意深い彼は私の意図にすぐ気付いたのだろう、とても彼らしい言葉が返ってくる。>>110
ともすれば苦言とも取れる言葉だ。しかしそれは、彼の人柄、私との関係性、今までの会話の流れを無視した切り取りに対する評価でしかない。
要するに全く正確ではない。
だから私は、忌憚ない言葉を選んでくれた彼にむしろ感謝すら覚えた。
それはきっと他人行儀と異なるもの、近しいと思う人に与える言葉だと思ったから。]
そうですね。でも、お仕事も
結局はご家族の為の事です。
今まで貴方がされてきたことは、
貴方だけのためのものではないから。
でも、ご家族と過ごす時間はきっと、
貴方にもご家族にも
良いものですからね。
――食堂に向かう前にスイッセスがした幾つかの一つ――
[手記を書き終えた私はそれを小さな宇宙空間用の専用カプセルに入れた。
船員であるアンドロイドにお願いし、船外に流してもらうためである。
私のしたためた拙い文章は、ドロシーとの思い出は、永遠に宇宙の海を漂うだろう。時に羊の蒸れみたいな星雲と戯れたりしつつ。
窓の外には、漆黒の中に浮かぶ真白の球体が見える。
ホワイト・マーブル。
みんなが様々な想いを抱いて赴く場所。
あの地で私はどんな運命を迎えるのだろうか。
答えは、まだ見えない。]
――夜・通路窓辺――
[最後の一日って言い方をするとなんだかしんみりする。
私はドロシーの遺品を全てきっちりと詰めた荷物を確認する。
よし、荷造りは完璧。後はホワイト・マーブルに到着したらマイケルと家族の居る家に向かうだけだ。
肩をこき、と鳴らして(アンドロイドである私は疲れないが、スイッセスの癖である)、一仕事終えたとばかり背伸びをすると廊下に出た。
何処へ向かうでもない足取り。
廊下から見ると窓の外にも宇宙空間が広がっている。
なんて、美しい光景であろうか。
と、進行方向先の窓辺に佇む人物の姿を私は捉えた。
あれは…リーンである。詳しい事情までは伺っていないが、珈琲を振る舞い挨拶をした事があった。私がアンドロイドである事は告げてある。
私は彼女に声を掛ける。]
[俯瞰で見る惑星の大地を踏むまだあと僅か。私は彼女の隣の空間を失礼して頂いて、横に立つ。
話題のハンカチは一つは白く、一つは青い。確かに彼女が言うように地球とホワイト・マーブルのようにも思えた。]
プレゼントですか?それは良い思い出を頂けましたね。
…そうですね。
地球とホワイト・マーブルは遠く離れていますが、
折り畳んだハンカチはいつも一緒に重ねておけます。
しかし、ふむ。相手がわからない…?
[彼女はその相手を「素敵な乗客」と称した。このリベルテには沢山の乗客が乗っているし、私が見知りになった人は誰もが違った意味での魅力を持ち「素敵」である。
名探偵、否、迷探偵スイッセスの丸眼鏡がきらりと光る。
私に解けない謎は…あるが、考えてみようか。
誰かが彼女にハンカチを贈る意図はなんであろう。
感謝?それとも求愛?
こういった上品な振る舞いを出来る人は…]
その方は40代ぐらいのビジネスマン、
スーツ姿の男性でしょうか?
髪は緩いウェーブで薄紫がかり、
眼光は鋭く…片目に薄ら傷のある方では。
ええ。生きることすら、寿命すら。
身体を機械化すれば随分延ばすことが出来ますね。
…そういうのを望む人も沢山います。
私の妻、ドロシーはそれを嫌がり、
亡くりましたが…。
はい。私は製造されてからの十年間、
すべての事柄を記憶していますよ。
ただ…私は出来る限り人間らしく振舞うよう
プログラムされていますから、
それらを都合よく引き出したりはしませんし、
忘れたように行動することもあるのですが。
[そう話しながら、私は彼女が何故そんな話をしたのかを考える。
地球に似たハンカチ。記憶。つまり。]
リーンさんには、地球に忘れたくない人や、
思い出があるのでしょうか。
それを残してホワイト・マーブルへ
移住されるのでしょうか。
……貴女はいつもそうして花のように微笑んでいる。
でも、もしかしたら何か、
お辛いことなどあるのでしょうか。
[少し、踏み込んでみるのは今日が彼女と話せる最後の日と思ったからだ。私は船を下りて、この船で出逢った人たちに再び逢えるのかわからない。
その時の私はどれだけ記憶がある状態かわからないから。
今、話を聴くことで、私は何か彼女の手助けになれないだろうか。
烏滸がましいかもしれないけれど、そんな風に思うのだ。]*
――食堂(最終日の午前)――
[彼とのやり取りは漫才の相方とのボケツッコミのようでとても楽しいものだった。
スイッセスの学生時代にはこんな感じの親友がいて、彼に少し似ている気がして私は懐かしく想ったり。
友との時間は珠玉である。>>182
焼肉サンドがいつものようにみるみると消えていく豪快な食いっぷりに惚れ惚れする。嗚呼、こんな光景を見るのも今日が最後か。それは少し…ほんの、少し。]
え。本当ですか?
私にも気付かない事が、
私に変化として起きているとは…
なんとも不思議です。
[それは確かに他者からの視点でないとわからないことだろう。彼の指摘はとても興味深くまた、彼が私をよく見てくれていたという事だから嬉しかった。]>>183
[初めてのモデルに私は照れてしまったが、彼の好意とお言葉に甘えていつものように珈琲を淹れた。
クロッキー帳の上を走るペンの音を耳にしながら用意したエスプレッソは、ある意味の共同作業の賜物のような。]>>185
[完成した絵は、彼の独特な線が活かされながら臨場感に溢れるもので、私が、スイッセスが生きてそこにいるかのような仕上がり。
紙を握る手が震えたのは感動のせいだ。何度も何度も礼を述べても足りない気がしたが、描き上げた彼も満足そうであったから…これで、きっと友として対等なのだろう。
実に気持ちいい。]
カラントさん、ありがとうございます。
どうか…どうかお元気で。>>186
[友の行く末に沢山の幸と、喜びと、成功がありますように。
手を振りながら私は願いを込めるのだった。]**
[彼女の家族について、私は今まで聞いたことがなかった。若い女性が一人で移住するには何か事情や理由があるとは思っていたが。
小さな蕾みたいな唇から漏れ語られる言葉に、耳をそばだてる。
その声は小鳥の囀りのように愛らしく可愛らしいのに、
私が知った内容は中々にヘビーなものであった。]
そう、だったのですか…
では貴女は一人なのですか?
…大切なご家族だったのでしょうね。
[私の妻は老齢であったから、亡くなるのはある意味の人の自然だ。しかし若い彼女の家族が次々亡くなるとは、余程の事情があるのだろう。災害や事故に一家事巻き込まれたか、または病気か…。もっと物騒な事も考えられるが、憶測を重ねるのも良くない。
彼女は地球を離れることになった理由について話してくれた。
周囲の目、の話しには胸がズキンとする。私だって、話を聴いた時は同情してしまったから。
でも、彼女の言葉はとても力強い。
こんなにも、手折ればぽきんと折れてしまいそうな花なのに、真っ直ぐに咲いている。]
記憶は結局容量だと言われてはいます。
似たものは上書きされていくと。
でも、もしそうであるなら、大切な人の記憶が
上書きされる時っていつなんでしょうね?
…貴女はとても家族を大切にされてきた。
しかし、これから先貴女は沢山の人に出逢い、
その中に家族のように大切にしたいと
思う人がいるかもしれません。
その時に、記憶の上書きが起きるならば…
それは多分、貴女の隣にまた大切な人がいる、
という事ですよ。
新しい幸せがあるという事です。
…亡くなったご家族はきっと、
貴女の行く末を心配しているでしょう、天国で。
幸せを願っているでしょう。
だからもし、その時が来たら。
…失う事を畏れるよりも、得ることに喜びを感じて。
幸せになってほしいなと、私は思います。
[彼女に寄り添えたか、どうか。私は常に自信がない。
ただ精一杯、想いを込めてそう言葉を贈った。]*
――カフェ(最終日の日中)――
[昨日私は『宙色の鍵』を読了、その感想をツァリーヌと話し合ったりした。
そして今朝はアーネストに珈琲豆を贈り、書き上げた手記をカプセルに入れて宇宙に放って貰った。
これはそんな後の一幕。食堂にてカラントに焼肉サンドを振る舞い、スケッチを頂いた後、私はカフェにやってきた。
食堂ではカラントの為にエスプレッソを淹れたので(※エスプレッソはマシンで淹れる。圧力が必要だからだ。私はアンドロイドだが、珈琲マシンではないので圧力をかけてお湯をろ過することは出来ない。)、今度はいつものように普通の珈琲を点てたくなったのである。
よって、かの小説家がハムサンドとオレンジジュースを先に注文していた時、カフェにはまだ珈琲の香りは漂っていなかった。]>>231
[私はいつものようにカウンター内にずけずけと入る。慣れた手つきで珈琲を点てると、カフェ内にこう声を掛けた。]
どなたか珈琲を召し上がりませんか?
淹れたてですよ。
[私は、何度か珈琲を振舞った事がある女性の姿を視界に捉えた。彼女の職業など詳しいことは聴いてはいないが、
私の方の事情――アンドロイドであることや、亡き妻の存在、ホワイト・マーブルにいる息子の現所有者、記憶を消去される予定などは特に隠さず話したとは思う。
私が自己紹介をし、相手がしないのを私は全く気にすることはない。
人には人の事情があるし、特に女性ならば猶更言いたくないことだってあっておかしくないから。
なので、私は彼女の名前を存じ上げているぐらいだ。
さて、私の声掛けに彼女が応じてくれるかはわからない。
もしも食後の珈琲を望んでくれるのならば、すぐに提供は出来るのだけれど…。*]>>232
[その時、つけっぱなしになっていた壁面の薄型テレビがこんなニュースを告げた。
『次のニュースです。
アンドロイドの人権問題に関して、市民から賛同と反発の二つの対立する声が上がっています。
人間の生活に今や欠かせないアンドロイドという存在。
昔のロボットとは異なり、アンドロイドは心を持つような言動や行動を取ることがあります。
そういった彼らを家族のように思う人も多く現れるようになりました。
家族に人権がないなど、以ての外です。
しかし逆に、アンドロイドに人権を持たせたら人間の人権が脅かされると考える人たちも存在します。
本番組では独自の取材によってこの問題を掘り下げて行きたいと思います。
アンドロイドは、人なのか、それとも機械なのか。
彼らの人権は認められるべきか、否か――』>>124]
[私はただぼんやりとその内容に耳を掛け向けていた。
これは自分について語られている事なのか?
その実感すら薄い私とは、一体……。]**
[素直さに溢れる彼女を私はとても好ましく思っている。
スーさんなんてあだ名で私を呼んでくれたのも嬉しかったし。
花に喩えるならマリーゴールドのような女性。
私は何も恋をするだけが幸せだと、彼女の元同級生みたいな価値観は持ち合わせてはいないがそれでも。
まだまだ長い人生を歩むであろう彼女に、いつか素敵な出逢いがあるといいなと思わずにはいられない。
…この船では色々な出会いがあったなあ、と感慨深く思い出に浸る私である。]**
でも。
もしそう見えたのなら、それは
この船で出逢った人たちと
たくさんお話し、考え助けられた結果では
ないかと思いますよ。
[彼女はとても謙虚な女性だ。その言葉は人を傷つける事など決してないのではと思えるほどに、柔らかい。真綿のようにふわふわとしていた。]
…ええ。ドロシーは生前のスイッセスを
とても素敵な伴侶であったと言っていました。
「大好きなおとうさん」と。
…息子がいると、妻は夫の事をお父さんって
呼びますからね。
…リーンさん。
良かったら、貴女のご家族のお話、
もう少し伺っても?
楽しかった思い出を教えてください。
好きな食べ物や、一緒に見た映画でも…なんでも。
[そんな他愛ない会話をしたいと考えたのは、私がドロシーや生前のスイッセスについても少し話してみたいな、雑談をしたいな、と思ったからで。
そうして私たちはもう少し共に緩やかな時間を過ごせたであろうか。
この船で過ごす最後の夜の過ごし方として、
優しい刻が、宇宙のようにどこまでも、どこまでも広がっているような気がした――。]**
――ショッピングモール――
[ガッシャアアアアアアン!
砕け散る硝子、私は両手で顔を庇いながら店の硬質硝子に思い切り体当たりしそれを割り、中に飛び込んだ。着地すると同時、くるりと華麗に身を翻してその場にすっくと立つ。
スイッセス・サン、推参ッ
そして、怯えた様子のレットに手を差し伸べた――。]
[私は自室にて荷物の整理をまだ続けていた。
荷物がパンパンだ。パパンがパンだ。これはもう一つ小さな鞄があった方が良いような気がする。
アーネストのサインやカラントのスケッチを綺麗に余裕を持って入れるには。
確か、船内にはショッピングモールがあったはずである。
思い立ったがなんとやら、私は腰を持ち上げて自室を後にした。]
[ショッピングモールを今まで利用しなかったのは、アンドロイドである私は余り消耗品を必要としないためであった。
マイケルに手土産を持参することも考えたが、所有者と道具という関係性を考えるとなんだかおかしい。
マイケルの子供が小さければ玩具でも買っていくのだが、もう成人している。
私は目当ての鞄をある店で見つけると手頃な値段にて購入した。
これで良し。
目的を達成した私が自室に戻ろうとすると。]
…あれは。
[それがレットであることは遠目でもすぐにわかった。彼女も買い物に来たのだろうか。それ自体は特におかしい点はない。ただ、何か困った様子に見えるのは私の気のせい?]
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