【念】 彫金師 スカリオーネ

　俺が三十くらいの時に結婚した。
　行きつけの道具屋の娘で、誰にも親切に接する優しい人だったよ。

　それなりに思い出はある。
　そして俺が生きている限り、それを捨てることは出来ない。
　例え色褪せても、な。

[自分を好きだという相手に、元妻の話をするのは酷であろうか。
それでも、素直に伝えておかなければならないことを口にする。
愛した人と、愛した時間を、なかったことには出来ない。
店先の写真立てをしまうことなど、出来ない。]

　だが、ここから先はコウが傍に居てくれるんだろう？
　俺は年齢で言えば確実に先に逝くし、元妻の事でもコウを哀しませるかも知れん。
　それでも、傍にいるんだろう？

　───強くあれ、心もな。

[貴様が選んだ男は、そういう男だ。]

【念】 桐木虹介

[リオさんが、奥さんの話をするのを黙って聞いていた。

相変わらず満月の光で表情はわからないけれど
深い声が俺に向けて言葉を伝えてくれようとしているのが
伝わってくる。



行きつけの道具やさんの娘さんで
誰にでも親切で優しくて
忍耐強くて、大人しい人。



今まで積み重ねてきた時間が、経験が、人間関係が、今のリオさんを作っている。それはわかってる。]

【念】 桐木虹介

[ ---　心も身体も強く。



それがここに残る条件だった。]

【念】 桐木虹介

[すぐに消化できることじゃないだろう。
口さがないことをいう人もいるかもしれない。

それでも、リオさんが言わせておけというのなら]

【念】 彫金師 スカリオーネ

[そう簡単に理解出来ることでは無いだろう。
そう簡単に強くなれるものでも無いだろう。
それでも、いつか乗り越えなければならない。
強くならなければならない。

寄り添い合い生きていける内はいい、
けれどいつかは残して逝くことになるのだから。]


　まあ、……───。


[一度、口篭る。
不自然な間を置いて、]

【念】 彫金師 スカリオーネ

　
　
　コウ、好きだぞ。
　
　
[そういえば、ちゃんと言っていなかったなと。
こんなタイミングでいう事でもないのかもしれないが。

気恥ずかしそうに、けれど真っすぐな瞳で
コウを見つめて囁いた。]*

【念】 桐木虹介

[気恥ずかしそうに、でもまっすぐに。
言葉にしてくれくれたことは、とても　とても　とても嬉しかった。ギルドの役目から放たれて　ようやく口にしてくれたそれを。]



俺も、だいすきですよ。



[初めて口にしてくれるのがこんなタイミングだなんて、
本当に、――　本当に不器用な人だな、と思う。

そんなところもいとおしくて、それがまた悲しくて。]

【念】 桐木虹介

[月も光の妖精たちも、どうやらリオさんの味方のようだ。
暗すぎるわけではないのに、その顔はうっすらと闇に守られているようで。

心のアルバムにもう1枚。リオさんの顔を追加する。
でも、ピントが合わなかったのは、別にその所為だけじゃないと思うけど]



そんな顔、めったに見せてもらえないんだから
もっと明るいときがよかったなぁ


[務めて明るい声を出して作った笑顔の俺の横を、
尻尾を立てた猫がのんびりと通り過ぎて行った。]*

【念】 彫金師 スカリオーネ

[緩やかに首が振られるのであれば、それ以上を追求することはできない。
こっそりと肩口に染みこむ一粒も気付いてはいたが
特に何を言うでもなし、とんとんとリズムを崩さずに続けた。]

　ああ、知ってる。

[隠そうとしていたのかもしれない。
或いは途中まで自覚さえなかったのかもしれない。
そんな想いはしっかりと伝えられていたから。

その点、男は好意を伝えることが下手だ。
タイミングも悪く、そう何度も口にできる性格ではない。]

【念】 彫金師 スカリオーネ

　これからは見れるだろう。

[照れた顔も、情けない姿も。
まあ成るべくなら見てくれるなよとは思うが。
ピントをぼやけさせている、瞳に湛えたものを
指で掬い上げて拭ってやる。]

　急ぐ必要はない。
　これから先はまだまだある。

[自分達は、自分達の速度で進もう。
のんびりと歩く猫を追い抜けない程の鷹揚な歩調で。
手を取るとまた一歩先を歩き始める。

ついてこられる速度で。]*

【念】 桐木虹介

[とても気の回る人だから、俺がこっそり拭いた何かも気づいてるかもしれないけど、背を叩くリズムはそのままだ。

知っている。そう答えるその人の声がすぐ近くで優しく響く。
若さゆえに、拙さゆえに。駄々洩れにしてきた感情を受け止めてもらっていた。それは自分の気持ちを押し付けていただけなのに。

そうして、今、ちゃんと応えてくれた。]


お願いがあるんですけど。


時々でいいですから、そうやって言ってくれません？
時々でいいですから。


[等価交換だと言いながらもらうことばっかりだ。
そうじゃなくて、俺にも返せることがたくさんあるといい。]

【念】 桐木虹介

[そう何度も口にする人ではない。
でも、時々でいいから、それを聞きたい。
リオさんはいつも数歩先をあるいているから。


不安な時、迷った時、
道しるべのように照らす光があればなんて思うのは俺のわがままだけど。
それを頼りに生きていける。]

【念】 桐木虹介

…見せてくれるんですか？



[ほんのちょっとの隙（好き）すらみせてくれなかったひとが。


ほんのりと疑いをにじませた視線で、言質を取ろうとするけれど
これから先がまだまだあると言ってくれるから。




一歩だけ先を歩くリオさんに手を引かれて、月の光の中を歩いていく。
のんびりと近くを歩いている猫が、うししと笑ったような気がした。]*

【念】 桐木虹介

それから

リオさん！　今日早番だから、俺 もう行きますからね！


[数週間後か、数か月後か、あるいは数年後かもしれない。

こちらの火の使いかたにも少しは慣れてきただろうか。
朝食の卵を焦がさなくなった頃。


すっかり伸びてしまった深い空色の髪を、後ろで一つに縛りながら、台所から大きな声をあげる。俺のだいすきなあの人は、今朝もおそらく　なかなか目を覚まさないだろう。]

【念】 桐木虹介

[時折思い出したように朝の奇襲をかけてみたりはするけれど、未だに成功したことがない。さすが元冒険者。そして多分俺の鍛錬がまだ足りていない。

寝ぼけたリオさんに捕まってしまうと遅刻してしまいそうになるから、早番の日は奇襲をかけたことがなかったんだけど、そういう時こそ実はチャンスだったりしない？]


リオさん！！　冷めないうちに食べてね！！



[わざとらしくならないように、台所から大きな声をあげてから
リオさんの寝室へ足音をたてないようにこっそり向かう。案の定、かの人は、少し難しい顔をして眠ったままに見えるけれど、耳ざとく俺の足音くらいは拾ってるんだろうな]

【念】 桐木虹介

[そうっとそうっと 近づいて
いってきますのキスを落とそうとするけれど


さてはて。今日こそ、成功できるんだろうか。]**

【念】 彫金師 スカリオーネ

[柔らかく抱き締める腕の中で、ほんの些細なお願い事が届く。
控え目すぎる願いに、思わず少し笑ってしまった。
本来なら毎日でも聞かされてもいいものではなかろうか。]

　わかった、時々な。

[背を撫でていた手で頭をもみくちゃにしてやってから
手を取って、一歩と歩き出す。

歩む道は仄暗い。
けれど、月灯りと妖精の光が淡く照らしてくれている。
暗闇の中を手探りで歩いているわけではない。]

　さあな？

[意地悪にそういうと、笑うねこと並び乍ら
二人、帰路についた。]

【念】 彫金師 スカリオーネ

─いつかの朝─

[あれからどのくらい経ったのか。
もう‟いつも”になった朝が今日も訪れる。
卵の焼ける匂いはいつからか焦げたものではなくなって
大通りの喫茶店へ向かうため、遠くからコウの声が届く。

今日も朝の靄が晴れるまで、布団の中で眉を顰め
声にもならぬ声をあげながら時を過ごす。

が、早番だという割に足音は近付いてきて
忘れものだろうか、否。]

【念】 彫金師 スカリオーネ

　ん、ああ。

[そこに殺気（？）がないことまで察知すると
近付く唇は容易に触れることができただろう。

追加で、こちらからも啄む程度の口付けをひとつ。

同意の「ああ」は「冷めないうちに食べてね」に対してか
それとも────]

【念】 彫金師 スカリオーネ

　
　
　
　行ってらっしゃい。
　
　
　
[柔らかな表情でそう囁いて。]**