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[結局その手紙に再びきちんと向き合ったのは、放課後の図書室。
高等教育機関の図書館に比べればささやかな蔵書数のその部屋には、この時幾人かの他の生徒もいたけれども。
まず司書の教員に、この手紙の送り返し先の惑星名について確認することから始めた。]
……「ユオピスク」でも届くの?
[通称だと伝えられたその惑星名の文字を、まるであたかも文字の練習かのように、小さな手帳にメモしていく。
実際に手紙が届くかどうかの保証はないが(この銀河と宇宙には、「郵便事故」というささやかながらも恐ろしい災害が存在するという!)
それから少しだけ、ユオピスクという星についての簡単な説明を司書から聞く。……「簡単な説明」とはいえ、どこまできちんとヌンキに理解できたかはともかくとして。]
[この時、休み時間ほど他の子供たちに囲まれることがなかったのを幸いに。
ヌンキは図書室の自習机の一角で、「きれい」な文字の手紙を広げながら、その返信を綴っていく。]
(きれいだなあ、この人の文字。
……人、なのかな?)
[今は人っ気があまりないとはいえ、つい感じたことを、今度は口から零すまいと。]
[文明的に発展した惑星“エリトラ”で生まれ育ち、
自然豊かで多様な生態系に恵まれる“ジェイロ”へ移り
数年の時が経っている。
学校に通わせられないデメリットを理解しながら、
エリトラの環境により病弱になってしまった身体を
綺麗な空気の惑星で育むことを選んだ父は
間違いだろうか、正しいだろうか。
親のあるべき形、大人が子供にするべき正しいこと
──僕には未だ定めるのは難しいです。
でも僕はジェイロが、暮らす生き物達が好きです。
彼らを育む自然が好きです。
僕が守りたいものはこの惑星の
「何も無い代わりにある沢山のもの」です。]
[その日、滅多に来ない郵便屋さんが来ました。
父や他の大人に何か重要な連絡があったのでしょう。
通信に任せられないような、
利便を代償に秘匿性を高めなければならないものが。
当然その内容は見せてもらえませんが
父は深刻な顔をして郵便屋さんを引き留めました。
そうですね、次来るのはずっと先かもしれないし
すぐお返事をしないといけないなら
申し訳無いけれど待ってもらわないと。
こんな惑星にポストなんてありませんしね。
ジェイロは辺境の辺境ですから、
きっと配達は最後の筈なので大丈夫でしょう。
それはいいのですが──
皆僕なんていないみたいに大人だけで顔を突き合わせ
ひそひそ聞こえないようで聞こえる声で相談していて
何だか凄く、嫌な感じ。
こんなことが移り住んでから何度もあった。
でも今日は何だか今までの中で一番空気が重い。
──フィールドワークに出る予定だったのになぁ。]
[だからつい。
大人が開けずに置きっぱなしにしている一通を
こっそり手に取り部屋まで持ち帰ってしまった。
自分宛じゃない手紙を勝手に開いたら駄目かも。
流行の手紙のやり取りも教えられるまで知らなかった
この星の異星人の中で唯一の子供の僕には
そうした思考はありませんでした。
こちらは重要じゃないから後回しになっている筈
少しくらい読んだっていいでしょう。
それに一人になりたかったんです。
気を紛らわせるものが欲しかったんです。]
わあ?
[喜んでいるような、
その感情を正しいものか自ら疑問に思ったような声。
少なくとも大人に黙って読んではならないものでは
無かったようだけれど、色々考え込んでしまった。]
……「ああ、そういうことか」
[感触を確かめるように撫でながら
少し不可解そうな顔で何度も何度も読み返す。
思考の間が空き、やがて微かながら気が抜けた音で
母星の言葉の独り言を漏らし。
返事をする為の道具を貰いに部屋を出た。
その足取りは先程と打って変わり軽い。
自分宛ではない、けれど返事をしてもいい手紙は
少し心を軽くしてくれた。]
[手紙が来たこと、返事をしたいこと
父に打ち明けることにしました。
同じ材質の便箋と封筒が欲しいなと思ったからです。
ハッショクカガリムシが、
仲間と同じ色に炎を変化させて交流するように
お揃いだと仲良しになった気分になれるでしょう。
……いえ、初めましての相手なのですが。
僕の気分の問題です。浮き足立っているのです。
やっぱり僕は話し相手に飢えていたのですね。
別の惑星宛なのは秘密にします。
郵便屋さんもここにいるし返されてしまいそう。
折角来たんです、初めてなんです、良いでしょう?
特定の誰かへのものでも無かったわけですし。]
[僕のお手紙は、
大人の手紙と一緒に郵便屋さんが持って行きます。
最後の配達がジェイロだったのなら、
きっとすぐに届けてもらえるわけではないです。
郵便事故なんてものがあるわけですから、
これもちゃんと届くのか分かりません。
分かっているのになんだかそわそわしてしまいます。
これを読んでどう思うでしょうか?
そもそも、ちゃんと読めるように書けたでしょうか?
書かれていた名前を心の中で何度も呟いて、
沢山の原生生物の生態と同じように
自分の中に焼き付けようとしました。
父には送り主の名前も内容も教えていません。
思いも寄らない手紙は、僕だけの宝物ですから。
僕はもしかしたら少し悪い子供かもしれませんね。]
[本を読んでいた。
一人、二人と生徒たちの席を立つ音も、扉を開け締めする音にすら気づかずに。ただひたすらに。
文字を目で追った。写真があれば、食い入るようにその景色に見惚れた。
視線の先に世界が広がっていて、僕の指先に世界が触れた。
見たことのない動植物。知らない言語圏の知らない言葉。
同級生のどの子の星とも違う文化。僕の星では存在しない景色。
独自の調理法で作られた料理。それぞれの星に伝わる伝統と信仰と祭事。
どれも難しい。でも、どれも新鮮で、どれも美しい。知ることは大変だけれど、楽しい。
僕の傍らに、便箋があった。インクもペンも。
その世界に繋がる、触れられる、言葉を交わせる機会を僕は手にしていた。
ありがとう。
僕は感謝した。先生に、同級生に。この機会を与えてくれたことに。深く感謝を。]
[全てのことを知ることはできないだろう。僕は万能じゃないし、天才じゃない。
でも沢山のことを知ることができる。
言葉にできない。沢山の人がいるってこと。その綴られた本に、どこかに存在する現実に、どうしてこうも心惹かれるのか。
薄闇が漂ってきてページを捲る手を止めて、代わりに四苦八苦して手紙を書き上げる。
この手紙を出して、誰に届くとも、読まれるとも分からないけど、それでもいいと思える。
知ること、書くこと、それ自体に大切な意味があるのだと知れたから。
届かなくても、その宛先を書けたこと、それに想いを込めたことが大切だと、そう思えたから。]
[ポストに手紙を投函して、急ぎ足で寮に帰った。
ああ、夕飯に間に合うか、間に合わないか。きっと寮監先生は心配してる!
急いで帰って、遅くなったことを謝った。
何とか許してもらったけれど、今度から手紙を書くときは寮で書きなさいって言われてしまった。
それから、二通の手紙を差し出されて。]
ぼくあて、ですか?
[頷く寮監先生にお礼を言って受けとる。首を右に左に捻って考えて、自身が手紙を送ったこと、それは子供たちの間で流行っていることを思い出した。
ご飯を受け取って自室まで急ぐ。寮生のすれ違いざまの挨拶にそれとなく返事を返して、自室へと駆け込んだ。
辞書を片手に、二通の手紙を机の上に置いた。
片方はつるつる、もう片方は綺麗な便箋。
ご飯を食べないと、そう思ったんだけど、僕の手は手紙に伸びて。
読み終えたところで、返事を書く前に頑張ってご飯を食べた。
ちゃんと美味しかった。食堂に食器を返して、改めて返事を書こう。]
……あっ。
[休憩時間の半ば、休息及び充電のためベッドに横たわろうとして気づきました。
もしや、私が先だって出した手紙には何か瑕疵がなかったかと。確かに本の内容は覚えていますが… 何か引っかかります。
これは恐るべきことです。
なぜならば、記憶をもとに記したものに瑕疵があったならば、それは私の記憶装置に瑕疵がある可能性を指し示すものですから。
私、EL7-10型は極めて長期にわたる反復的な中等度の知的作業に最適化されています。
そして、無論私は第3分館を任される程度には優秀な試験結果を示したのでこのセラエナスに派遣されているのです。
その記憶及び作業が信頼性に欠けるものであるならば、私は交代させられてしまいます。
そう、何もなければ耐用年数までこの作業を続けられるのです。交代とは不適格であるが故のお役御免ということ。
そのような実例を聞かないではありません。
この星を離れ、一体どこに居場所を移されるものか…
その事を考えると、私は書庫の暗黒の吹き抜けに身を投げるような、ひどく落ち着かないものを感じるのです。]
人間の残す本には、どうしてこんなにも…
[己の感情について書き記したものが多いのか。
それらを重視するからでしょう。
しかし、そんな大事なものが、私にはやはりよくわからないのです。
人間と全く同じだけの人権を認められているだけあって、ヒューマノイドの中には、まったく感情豊かな型式も少なくないのですから。
きっと、無限地底書庫で活動を続けるには、不要だとみなされたのでしょう。
わかりません。
けれど、私にはいくら考えてもわからないから、やはりそれだって手紙で尋ねるくらいしかないのです。]
「ねえ、父さん。手紙の人の星のこと……」
[──教えてほしかったんです。
沢山勉強をしているけれど、
他の惑星については殆ど知れていないから。
父は息子の言葉を手の動きで制止し、
部屋に戻りなさいと言い皆の元に戻って行った。
無意識に母星語を使い約束を破っていたことも、
咎める様子すら見せもせずに。
あの手紙はとりあえず置いておいたのではなく
多分、存在も忘れてしまっていたんだろう。
それだけの内容が大人宛には書いてあった。
真実に気づいた僕は立ち竦み、
高くも痩せた背中を見送るしかなかった。]
ふう
お願いします
[傷みやすい古い古いレターセットで作った手紙を、大切に保護して郵便屋さんに託した。
生まれてはじめて受け取った手紙が嬉しかったから、同じように紙の手紙を書きたかったんだ。
未使用のレターセットは、おじいの書斎からたくさんの古い手紙と一緒に譲ってもらったもの。
確かめてはいないけど、
シトゥラはおじいが昔だれかと銀河語で恋文を送り合っていたんだなってわかっている]
[もらえた手紙の読解はできたと思う。
固有名詞は少なかったし、語彙は平易でシトゥラでもわかるものが多かった。
単語の調べ物には”3本腕”王のところの人足さんも協力してくれた。
今までの研究を、ほんとうの手紙で実践できるの、すごく難しいけどうんと楽しい。
お返事はうまく書けたかな。
がっかりさせないといいんだけど]
どうしようかな、宝石好きのエミュルグの基地に行ってみようか
[ところで、ヌンキは放課後の図書室で、手紙をもう一通したためていた。
それはいつも通りの、知らない星の知らない誰かに宛てて送る手紙、ではある。
けれども、話の中でだけ聞いたことのある惑星を宛先にして、そうした手紙を送ることもある。先日送った手紙の一通が、まさにそうだったように。
けれども、今送ろうとしている宛先は――]
(銀河語の手紙、読んでくれるかな……。
でもジェイロ語は……よくわからないし……)
[「その星の人」が文通に応じてくれるかどうかまでは、ヌンキには知れない。
口頭での銀河語会話であれば、それこそ「代表の人」ならできる、という話ではあったが。]
[今回、その惑星に手紙を出してみようとふっと思ったのは。
自分と似た立場かもしれない、けれども決して顔見知りではない、そんな人の話を聞いてみたいと思ったから。
……実際にヌンキが思い描いている通りの、名前も聞いていないその相手に、その手紙が届くかは別として。]
[……宛先に「先住民の代表者」と書いておく、ということを、ヌンキはまるで考えていなかった。
ただ惑星名を記しただけの手紙が、いったい誰の元に届くのかは知れない。]
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