幽玄卿 テヌート

[男が部屋に着くと、ポストには手紙が二通届いていた。
どちらも知らない名前だ。
通常は切手の貼られていない手紙が届く事はない。]

これは、もしかして……もしかするのか？

[興奮で、一気に眠気が飛んだ気がする。
男は逸る心を落ち着かせる為にシャワーを浴びる事にした。

部屋着に着替えると、購入してきたミネラルウォーターの封を切り、口にする。
それからソファーに腰を下ろすと、手紙の封を切った。]

幽玄卿 テヌート

[最初に目を通したのは、男性と思われる筆致の方から。
それは、死者へ宛てた手紙だった。
──残念ながら、今回受け取ったのは生者である男だったが。

男と同じ目的で書かれた事も考えたが、他の死者に届いた場合も想定している辺り、“手紙が死者に届く”と信じる背景がバックボーンにあるように感じる。]


……何処かでそういう風習があったな。
“灼熱と珈琲の国”だから、コーヒーベルト付近だろうが……。

[記憶を手繰り寄せ、携帯端末の力も借りて、ハロウィンと近い時期にとある地域で行われる風習に行きつく。]

幽玄卿 テヌート

ふふふ……、遥々、海を越えて届いたってわけか。

[男はブラウンの瞳を爛々と輝かせた。
興味深い。実に興味深い。
この手紙が、どのようにして男の手元に届いたのか。

これは、いよいよ例の噂が真実味を帯びてきたのではないか。
であれば、男の手紙も何処かへ届くのだろうか。]

幽玄卿 テヌート

[“返事を待っている”という言葉に、ふと男は冷静になる。
本人に届く事はなかったけれど、死者との思い出話を読んでしまったからには、きちんと返事をしなければいけない。

幸い、手紙の贈り主はハロウィンや新しい文化に対して興味を持っているようだ。
少しでも喜んで貰えるように手紙を綴ろうと決める。]

幽玄卿 テヌート

[そうしてもう一つの手紙の封を切り、丸みを帯びた文字に視線を落とした。
こちらは何と『幽玄卿』と宛名書きに書かれている。
防犯の観点から住所を公開する事はないので、こちらも届く筈のない手紙である。

最近配信を聞き始めてくれたリスナーからの生の声に、心が温まる。
勿論、コメントはチェックしているが、こうして手紙を見ると、確かに生身のリスナーがいるのだと感じさせられた。

男としては、ホラーについて知らなかったのに、よくぞ聞いて下さった、と言いたい。
けれど、彼女が手紙を書いてくれた相手は男ではなく、『幽玄卿』だ。
男からではなく『幽玄卿』として返事を綴ろう。
“なくても大丈夫”、と書かれていたが、ありがとうを伝えたかった。]

幽玄卿 テヌート

[男は二つの手紙を書き終えると、疲れと安堵によって招いた睡魔に足を取られ、ソファーで眠ってしまった。

手紙を南瓜のモチーフが編み込まれたトッパーのついたポストに投函したのは、夕暮れ時の事。]

灯火の鼓動 エイビ

それは、あの世からの手紙ではなく

[約90年越しの「特別な年」は数多の霊界に及び、
　この世においてもその噂は、地域を問わず人々の口に、
　また電子の海に広がりも広まっていく運び。

　となれば、別に「霊界」にいる訳でもない
　「人ならぬモノ」に対しての手紙を
　この機に送ってみようと試みる人々もまた、
　地域を問わず存在した訳で――]


　なんか色々来たな、オイ。俺サンタクロースじゃないからな？？
　あの島のジルの坊主のほうにも
　あれこれ来てたりするんかね……？


[狩ったネズミが如く手紙を咥えてやってきた
　黒毛のネコならぬ“黒猫”は、
　5^(3〜10)通の手紙への返信を綴り始めるエイビの横顔を
　さも他人事かのように、真紅の瞳で眺めていた。]

灯火の鼓動 エイビ

　なるほどな……。
　これが締め切り間際の作家の修羅場ってヤツか……。
　　姉さん、よーくわかったよ……。


[何せ今夜は、10月30日の夜。

　いくら人間の科学の証明が及んでいない
　不思議と神秘の存在たる鬼火とて、
　ハロウィン当日までに相手に手紙を届けるには
　今夜出さないと間に合わないのである――！]